他人を否定するという自慰行為の虚しさ

長いので最初にまとめを置いておく。

  • 他人を否定することは自己の向上につながらない
  • それどころか自己の向上を妨げる要因になりかねない
  • 他人もそれを聞いていい気分になることはない
  • なのでやめよう

(※客観的論理的建設的な批判はこの限りではない)
あと、親の影響ってなかんか気付けない分怖いよねって事

というわけで本題

 大学生になる頃まで、自分は他人を否定するということが格好いいことだと勘違いしていた。
なぜこんな勘違いをしていたのか、理由は明白で父親の影響である。明白だが気づいたのはつい最近だ。

自分語り その1 原因

 ウチの父親は他人を否定する事が大好きな人間で、家に居る時は常に他人を否定するような
ことばかりしゃべっていた。肯定する場合でも否定から入るのである。
両親は職場は違うが同じ職業であり、共通の知人も多く、仕事の愚痴が夕食時に延々と続くのである。
 「あいつは無能だ」「何もしないくせにえらそうにしやがって」「あいつは何もわかってない」
こんな他人を否定する言葉を何年間も聞かされたわけだ。
母親がどのような気持ちでそれを聞いていたかは知らないが、
反論すると機嫌が悪くなったり逆ギレしたりするので適当に相槌を打って流していたように思う。

 晩飯が終わるとプロ野球だ。ここでも否定は続く。関西というお国柄、阪神タイガースを応援し、
巨人に対して異様ともいえる敵意を向ける。まぁ甲子園にいくとよくいる野次とばしまくってる
ようなオヤジだ。
 スポーツ全般の観戦が趣味なのでプロ野球以外も中継があるものはほとんど見るのだが、
そこでも否定の嵐である。1位以外には価値がないと思っているらしい。
 「コイツは怪我ばっかりしてるから3流」「背が低いからこいつはダメ」「三振するだけなら俺でもできる」
 「コイツはXXXだから嫌い」「嫌いだから顔もみたくない」

 今にして思えば、過去どのスポーツでも一流の実績を残した事もないこいつが、
何の権利があってそんなバカなコキおろしをしてるんだ、と思えるが、
小学生程度の子供からすれば父親は「真似るべきお手本」であり「尊敬すべき存在」である。
こういう親を真似る子供が、よく小中学校でハブられたり虐められたりしなかったなと思う。
今思い出して納得するのが、中学生の頃、定年間際の温厚そうな男性の国語教師から
「お前のような奴を『傍若無人』という」
なんて言葉をかけられたことだ。言葉の意味は勿論知っていたが、この時の俺は逆説的に褒められたと
勘違いして喜んでいた記憶があって今となっては失笑を禁じえない。
 卒アルの寄せ書きに「キミはその性格をなんとかしなさい」とクラスメイトの女の子にかかれた事もあった。
長い間どういう意味なのか全く分からなかったがオッサンになった今なら理解できる。

自分語り その2 気付き

 大学入学直後、この他人を否定すること、何かを嫌うことが格好いいという誤解が解け始める。
大学にはパソコンが大量に設置された施設があり、学内の電子掲示板のようなものもあった。
そこでネットを触るのもはじめての調子に乗った阿呆が
「昨日も巨人負けたね、巨人ファンとか生きてて恥ずかしくないのー?ぷっぷー」
みたいな書き込みをしたわけである。これに対して大人なある学生が以下のような返事をくれた。
「人が何を好きでいるかはその人の自由です。本当に恥ずかしいのは誰か一度良く考えてみて下さい」
屁理屈ゴネるまでもなくその人の言うことが正しいのが分かった。もう名前も覚えていないが、この人が
目を覚まさせてくれるきっかけになった最初の一人なのは間違いない。

 大学に入ってからも高校時代の友達とは付き合いがあり(同じ大学にも結構行った)、良く誰かの家に
集まって遊んでいたのだが、そのことがあった直後、友人の一人に
「お前、大学入ってから丸くなったなぁ」
と言われた。高校時代も相当酷い性格だったんだろう。良く友達でいてくれたもんだ。
とはいえ、大学の頃の自分も今にして思えば穴掘って埋めたいくらい恥ずかしい勘違いしまくっていた。

他人を否定したり嫌って得られるもの

 否定や嫌悪が即ち絶対悪だとは勿論思わないが、客観的根拠の無い感情的な否定や嫌悪の表明は、
本人のストレス発散にはなってもそれ以外の何も生まない。聞かされる方はいい迷惑だ。
これはもう自慰行為そのものである。他人に根拠のない感情的な否定や嫌悪を伝えることは
オナニーを見せてつけているようなものなのである。オナニーやるならお一人でどうぞ。

 やべえ、なんて自分は恥ずかしいことをしてきていたんだ。

と気付いたのがつい最近のこと。穴があったら入りたいとはこのことだ。

 きっかけはマンガだった。「ツマヌダ格闘街」という格闘技マンガがあるのだが、
そこで指導者役のキャラクターがこんな意味あいのセリフを言う。

  • 「格闘家が他人の批判をすることはタブーである」
  • 「批判をしても自分は強くならない」
  • 「批判をすることによって驕りが生まれ、自己の成長を阻害する」

これを読んだ時に目から鱗が落ちた。
大学生ぐらいの年で気付きたかった事だが、死ぬまで気付かないよりはマシだ。

 今まで学業にせよ趣味にせよ仕事にせよ、最初の取っ掛かりは割と他人より上手く入れるのに
その内追い抜かれてしまうのは明らかにこれのせいだった。
いい年こいて気付くの遅すぎで恥ずかしい。それでも以前よりはマシな自分になれそうではある。